新潟のお伊勢さま

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新潟大神宮

新潟大神宮のご紹介

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新潟大神宮のご紹介

新潟大神宮のご紹介

新潟大神宮は、伊勢神宮の御祭神、天照皇大神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りしています。御鎮座は明治9年で、当初、伊勢神宮の布教機関であった神宮教院の新潟本部として創建されました。その後、神宮教、神宮奉斎会と改称の後、 昭和21年に『新潟大神宮』と改称され、今日に至っております。緑の木々に囲まれた荘厳な御社殿により、『新潟のお伊勢さま』と親しまれ、地域の方々はもとより、多くの人々の心のよりどころとして、崇敬を集めています

御由緒

明治新政府は王政復古の大号令のもと、天皇を中心とした祭政一致の国造りを推し進め、明治3年には大教宣布の詔が渙発されました。伊勢の神宮においても政府の方針に呼応し、明治5年10月に神宮教院を設置し、全国の枢要の地に地方本部を設け、皇大神宮の御分霊を奉斎することになりました。新潟県は神宮教院の第7教区に区分され、明治9年に伊勢神宮禰宜の神田息胤が、新潟本街八坊東側を卜定して神宮教院第7教区新潟本部を設営し、皇大神宮の御分霊を御鎮座申し上げました。これが当宮の創祀です。
明治13年8月に発生した新潟大火は、本部にも及びましたが、幸いにも御神体は無事で、明治17年に今の西大畑町藤山の地に社殿を再建し、現在に至っております。
当時から地元では「大神宮さま」「神宮さま」と称されておりましたが、戦後は社名を新潟大神宮と改め、新潟のお伊勢さまとして崇敬されております。

御神徳・御祭神

新潟大神宮は「新潟のお伊勢さま」と称され親しまれていますが、伊勢神宮(内宮と外宮)の御祭神である天照皇大神と豊受大神を奉斎していることによります。また、天地万物の生成化育つまり「結び」の働きを司る「産霊(ムスビ)の神々」があわせ祀られていることから、縁結びに御利益のある神社としても知られ、良縁を願う人たちのご参拝も年々多くなっているなど、その御神徳は実に広大無辺なものがあります。
家内安全・商売繁昌・厄除開運・交通安全・学業成就など諸願の成就をご祈念ください。

新潟大神宮の御祭神

主祭神

あまてらすすめおおかみ天照皇大神

〜 伊勢神宮の内宮(ないくう)の御祭神。日本国民の総氏神 〜

とようけのおおかみ豊受大神

〜 伊勢神宮の外宮(げくう)の御祭神。農業、諸産業、衣食住の守護神 〜

相殿神

かみむすびのかみ神産霊神

たかみむすびのかみ高産霊神

たまつめむすびのかみ玉積産霊神

いくむすびのかみ生産霊神

たるむすびのかみ足産霊神

〜 天地・万物を生成・発展・完成させる霊的な働きである産霊(ムスビ)を司る神々〜

おおみやのめのかみ大宮売神

〜 調和を司る神 〜

みけつかみ御食津神

〜 食物を司る神 〜

ことしろぬしのかみ事代主神

〜 言の葉(言葉)、言霊(ことだま)を司る神 〜

御林稲荷神社

嘉永4年(1851)、砂防林が幕府直轄の「御林」に指定され、同地開墾の際に検断小田平右衛門が郷内安全繁栄祈願のため、自ら京都伏見に至り正一位伏見稲荷大明神の御分霊奉斎を懇願。同年11月28日付で御許しを賜り、御林地に倉稲魂之命をお祀り申し上げました。
当社は、小田稲荷とも呼ばれておりましたが、現在は新潟大神宮の境内社として、衣食住の神、商売繁昌・家業繁栄・社運隆昌の神として崇敬されております。

太平神社

殉職された消防士、消防団員の御霊をお祀り申し上げております。社殿は旧招魂社本殿を移築いたしました。自らの命を懸けて職務を遂行された消防士、消防団員の御霊に感謝してお参りいただき、防火、防災にご加護を頂戴いたしましょう。

殉節の碑

慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争は、越後の地が最大の激戦地となりました。当時、新潟の警護にあたった中心的な存在「会津藩士」の戦没者は判明しているだけでも242名と言われています。戦争が終わっても勝者西軍の敗者に対する仕打ちは苛酷で、戦死者の埋葬さえも許されなかったそうです。
「殉節の碑」は、当時の生き残り越後在住会津藩士が、家宝の刀剣を売るなど苦しい生活の中から資金を出し合い、明治23年に建立された悲願の鎮魂碑です。皇祖をお祀りする新潟大神宮の境内に建立したのも、いわれのない朝敵の汚名を晴らしたいという藩士たちの切なる願いからだったと思われます。

坂口安吾生誕碑

坂口安吾は、明治39年10月20日新潟市西大畑町で父仁一郎、母アサの五男として生まれ16年間を西大畑町で過ごしています。住居跡地は道路となっていて、当時を思い起こさせるものは、残念ながらありません。
そこで、安吾と會津八一の市民研究会「八吾の会」が中心となり、生誕碑建立の会を発足させて寄付を募り、平成18年に建立の運びとなりました。
碑文は、昭和21年に発表された、幼少期を回想した自伝的小説「石の思い」の一節です。
「私のふるさとは、空と、海と、砂と、松林だった。
そして吹く風であり、風の音であった。」

幼稚園のご案内

新潟大神宮の境内は、子供たちの遊び場でもあります。
”鎮守の森”といわれる神社の森は、昔から子どもの遊び場として親しまれていました。
子どもたちにとって鎮守の森は、安心して遊べる場所であり、どこか神聖な場所として特別な遊び場と言えるでしょう。新潟大神宮は、これからも子供たちをのびのびと育むことができる環境をまもり、いつまでも鎮守の森であり続けたいと思います。
昭和27年6月、初代宮司の栂坂清松は「明るい元気な子」「心の豊かな子」を教育目標として、境内の一角に神宮幼稚園を開設致しました。

神宮幼稚園

神宮幼稚園

〒951-8104 新潟県新潟市中央区西大畑町5195
TEL:025-222-7484

神宮幼稚園

寺尾幼稚園

〒950-2055 新潟県新潟市西区寺尾上1丁目6−55
TEL:025-260-1210

神宮幼稚園

親松幼稚園

〒950-0952新潟市中央区親松136番地
TEL:025-283-4444

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